明日も お天気


 その日,わたしはクラブへ行くのがとても遅くなった。
 理由はいたって簡単。担任に呼ばれての進路指導だったのだ。
 高校2年生……ともなれば当たり前のこと。だけど,わたしにとってはかなりの悩みの種だ。



 今日は、悔しいくらいいいお天気。
 こんな日は悩みの種は一瞬でも忘れてスカッと気分転換するに限る…と,気分新たに部室のドアを開ける。高校入学と同じに幼馴染の真壁俊が創部した『ボクシング部』の部室である。昨年は俊を始め部員3人マネージャー3人の弱小部であったが,神風高校との練習試合のうわさがうわさを呼んだのか今年は進入部員も数名入部し,昨年より活気が出てきた。
 この時間ならみんなロードワークに出ているはずだから,部室にいるのは蘭世だけだろう。
 そう思いながらドアを開け,奥のロッカールームに向かう。思った通りリング周辺には誰もおらず,真っ赤な夕日だけが室内に差し込んでいた。
「蘭世,いないの?」
タオルや飲み物の準備をしているはずの蘭世の姿が見えず,ちょっと不思議に思いながらロッカールームを覗き……そこでわたしの足は止まった。
 そこに蘭世と俊の姿があった。
「―――どうして……?」
俯きもせず,瞳にたまった涙をぬぐうこともしないでまっずぐ俊を見つめている蘭世。その声が震えていた。
「……」
蘭世の言葉に何か俊が答えた。
「……ごめんなさい」
瞳を閉じてうなずく蘭世。頬をつたう涙が,床に落ちた。
「江藤……」
その瞬間,俊の腕が蘭世を引き寄せ―――,
「真壁君」
蘭世が声をあげて泣き出した。そして
 2人の唇が重なり合う瞬間,わたしは部室から駆け出していた。










 わたしの名前は神谷曜子。『神谷組』の一人娘――として,パパに大切に育てられた秘蔵っ子である。『神谷組』というのは今はやりの暴力団で……,なんとなく周りから一歩引かれてしまうのかといえばそう言うわけでもない。
 いや,それでも中学までは,持ち前の頭脳と美貌のおかげでかクラスメートの多くがわたしから一歩引いていた部分もあった。それが変わったのはわたしにとって"ライバル"といえる相手、江藤蘭世が転校してきてからである。
「神谷さんと江藤さんって,仲がいいのね」
高2になって,なぜかまた蘭世と一緒のクラスになったとき,あるクラスメイトから言われた言葉である。
「なによ、あんなやつ」
なんて口では言ったけど,なんとなく嬉しかったのも事実。蘭世が転校してきてからいままで俊を巡ってのライバルはあるけれどでも,あいつはそれ以上に馬が合って本気で接することが出来る,わたしにとって唯一の相手である。
 蘭世と俊が……。
 2人の様子を見てショックだったけど,それ以上になんとなくこんな日が来ることを予感していた自分をわたしは感じていたのかもしれなかった。





 家に帰って部屋に入り,お気に入りの男性ボーカルのいるグループのCDをかける。いつもよりちょっと音を大きくして,ベットに転がって天井を見つめる。思い出す、2人の姿。ショックだったはずなのに、涙は少しも出ていない。
 そう言えばこのボーカルをあいつも嫌いじゃないって言っていたな…と,忘れていた"あいつ"のことをちょっと思い出す。冗談みたいな時間。現実か夢か、今ではもうはっきりとしない気もする。けれど,あの時のことを思い出して笑える自分はちょっと嬉しかった。
『神谷ぁ……,おまえ頭はいいんだから,もっと欲を出してもいいんじゃないか?』
今日の担任の言葉が脳裏をよぎる。彼の向こうには気持ちのいい秋の空が窓越しに見える.
『まあ,おまえの気持ちも分かるが……,大学へいったら2年くらいの差なんてあまり気にならないぞ。って、だいたい今でもおまえあまり気にしてないだろうが』
"てっつぁん"なんて呼ばれている一昔前のチンピラみたいな口を聞く担任は,そう言ってにやっと笑う。40過ぎのおじさんなのだが,こう言うときの担任の顔は妙に愛嬌があると,今日改めて気づいた。
 進路調査用紙に書いたのは『第1希望 家事手伝い,第2希望 短大家政学部』だった。俊への気持ちを知っているパパは,進路のことは何も言わないけれどやはり卒業と同時にゴールインを…という夢を持っているらしい。叶うならば…という気持ちはわたしにもあった。だからこそ,度重なる担任の説得も柳に風と受け流してきたのだが。
「曜子,曜子どうした?」
食事時。
 いつも以上にわたしの好きなものばかり並んだ食卓を前に,たった一言パパはそう尋ねてくれた。
「パパ」
だから,ちょっと甘えてみたくてわたしはこう切り出す。
「ねぇ,パパ。俊にも振られちゃったから,わたし大学へ行こうかな」
「曜子?」
すっ…と表情が変わるパパ。そんなパパにわたしは笑って言いなおす。
「冗談よ,冗談。でも,もう少し何か勉強してみたい。だから,この間の進路希望,変えるかもしれないからね」





 俊にプロボクサーへの転向の誘いが来ていたことを知ったのは,しばらく経ってからの事だった。
 俊1人で悩んでいたことも,その事を知りながら相談されなかった蘭世がこれも1人でそんな俊を見守っていたことを知ったのも、すべてが終わってから――私自身の気持ちが決まってから――担任であり実はボクシング部の顧問でもある"てっつぁん"から聞いたのだった。
 あのときの蘭世の涙にどんな意味があったのか,知ろうとも思わないし,知りたいとも思わない。でもあれを思うとかなわないなと思う。
いや,もうずっと前から,ひょっとするとわたしは蘭世にはかなわなかったのではないだろうか。
「神谷さんってば」
それでも困ったような蘭世の顔を見るのは好きだから,そしてこんなふうに喧嘩できる関係が気に入っているから,わたしは蘭世と俊にこれからもちょっかいをかけつづけるだろう。ここを卒業しても,これからもずっと蘭世と俊はわたしにとって"特別な"人でありつづけるだろう。そんな確信を持って……。
 今日も空は晴。気持ちも最高。だから、
「なによ,蘭世こそ俊にくっつかないでよ。ねっ,俊」
俊のスポーツタオルを奪い取って,わたしは蘭世に「べっ」と舌を出し,俊の腕を取った。






 私が年をとるにつれて、大好きになった曜子さんのお話です。
 第二部の最初、蘭世と真壁君の結婚式で登場する曜子さんはとっても素敵でした。あんなふうにライバルを祝福できる彼女はいつ、2人のことを認めたのだろう。そんなことを考えていてできたお話です。
 素敵な曜子さんに、乾杯!







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