「蘭世さん,調子はどう?」
「フィラさん……」
窓辺に置いた揺り椅子に腰掛けた蘭世は,アロンの妻であるフィラを薄い笑顔を浮かべて迎えた。
「起きても大丈夫ですの、蘭世さん? まだ顔色が良くないですわよ」
未だ顔色のもどらない蘭世にフィラはそう言って,自分のために椅子を引き寄せてその傍らにこしかけた。
あの日から数日間、蘭世は寝台の住人になっていた。体調を崩して起き上がることさえ出来なくなったのだ。環境のあまりの変化に心と体がついて来なかったのだろうとメヴィウスは言い,数日の安静を言い渡した。昨日からやっとベッドから起き上がり部屋を歩き、身の回りのことが出来るようになっていたのである。
「うん平気。ごめんなさい、心配かけて」
言葉と裏腹に力の入らない声で蘭世はそう返事をする。
「アロンやメヴィウスさんにも迷惑かけちゃって……」
「そんな事は気になさらないで……今はお腹の赤ちゃんのことだけ考えてくださいな。それに、一番心配されているのは俊様ですもの」
「そうね」
蘭世は呟くように言って涙ぐむ。
「彼の方が私以上に辛いのに……私がこんなふうじゃだめだよね」
そう・・・俊はやっと念願のチャンピオンにもなり、ボクサーとしての地位が確立した矢先の出来事だったのだ。
「蘭世さん」
フィラは蘭世の前に回りこみ、見上げることの出来るように彼女の前でひざを折った。そして,スカートのひだの中にこっそりと隠していた"それ"をそっと蘭世の前に差し出す。それは,沈みがちの蘭世を元気付けたいと,ここを訪れる前にフィラ自らで準備したものであった。
「フィラさん,これ?」
「さっきつんで来たばかりのものですのよ。まだ香りがはっきりしているでしょう」
「思いが池のそばの?あの花なの?」
蘭世の問いにフィラは笑顔で頷く。それは、蘭世の結婚式のときにも持参した思い出深い花であった。光の加減で色を変えるその花は,蘭世もそしてフィラも好きな花であった。
「いい香り……」
腕に花を抱え,胸いっぱいに花の香りを吸い込んだ。そうすると心の中の屈託が解けていくような気がして,蘭世はもう一度胸いっぱいに花の香りを吸い込む。
思い悩んでいても仕方がない。
ふとそんな思いが心によぎる。
私は何をなくしたというんだろう。私には彼がいてくれる。そして私たちの幸せの象徴であるこの子もいてくれるというのに……。左手でそっとお腹に触れる。確実にその存在を教えてくれる柔らかなふくらみを実感するのは,何日振りだろうか。
「フィラさん」
蘭世はフィラのほうに向き直る。
「早く元気になって,思いが池にピクニックに行きたいわ。いっぱい花をつみたい」
「蘭世さん」
蘭世は魔界に移って始めて,自分のやりたいことを見つけたような気がした。それはフィラにとっても喜ばしいことだった。蘭世の笑顔が戻ったことを大急ぎでアロンに知らせたいとフィラはそう思った。
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