ある夜の話



 久しぶりの我が家で。
 お風呂に入り、早々に部屋で休んでいた蘭世は、ふ・・・と目を覚ました。時計を見ると、まだ日が変わるか変わらないかという時刻。ふつうの中学生にはちょっと遅いが、吸血鬼と狼女・・・という自分の血統を考えるとそれほど遅い時間でもない。
 というより、いつもよりかなり早く休んだ分目ははっきりと覚めており、そして何となく喉も渇いたので、蘭世は自分の部屋から階下へと降りる。
 リビングには、予想通り両親の姿があった。
「あら、蘭世、目が覚めたの?」
「うん。お父さんたちは? まだ寝ないの?」
「久しぶりの我が家だからね。つい、のんびりしたくなってね」
 望里は娘にそう笑いかけ、手にしたワイングラスを軽く揺らす。グラスに半分ほど入った赤ワインがリビングの明かりを受けてゆったりと揺れた。
「これを飲んだら、休むとするよ」
 蘭世はこれね・・・と椎羅にオレンジジュースを手渡され、一気にグラス半分ほど飲み干す。思ったよりも、喉が渇いていたらしい。
「こうして、帰ってこられるなんて、思ってもみなかったわね」
 夫と同じようにワイングラスを手にして、椎羅はもう片方の手で娘の髪をそっと撫でる。
「あなたも、鈴世もちゃんと無事にここにいる。本当に・・・よかったわ」
「お母さん・・・」
 一つ間違えば・・・いや、昨日まではほぼ確実に反逆者だった自分。その先に待っているものが何か、わかっていなかったと言えば嘘。だけど、その罪が家族や・・・友人にも及ぶことになるとは、あのクリスマスの日には全く想像できなかったから。
「お父さんも・・・ごめんなさい」
蘭世は、ただ、そう言うしかない。
「蘭世が謝ることはないんだよ。もちろん、真壁君だって。あれは我々が選んだ道だったのだから」
 実際に、死に直面した望里は、しかし笑って娘に言う。あのとき死んでいたとしたら、後悔しないとは決していえないだろうけれど、だからといって娘とあの少年を狩る側に回ることは決してできなかっただろうと思うから。だから。
「蘭世が、真壁君と共に逃げようと決めたのと同じように、お父さんたちも蘭世と共に逃げようって決めたんだから・・・。これからも、それは変わらないよ」
「ありがとう、お父さん」
 蘭世はそう言って、父の腕に抱きついた。






「真壁君は・・・これからどうなるのかしら」
 我が家に帰って、それぞれが何とか落ち着いて。そうしてやっと浮かんできた思いを椎羅は、ふ、と口にする。
「双子の王子が不吉だというのは間違いだったってわかったんだし・・・そうしたらやっぱり、真壁君が第一王子ってことになるのかしらね」
 そう。
 今はまだ、どこかしこりが残っている父と子かもしれないが。
 后であるターナが大王の傍に残り、そのターナから大王は、今までのことを聞くことになるだろう。そうすればきっと、不器用な息子の表情の裏に隠された優しさを知り、いつかきっとわだかまりは親しみに変わるだろう。なにより、あの突出した能力を目の当たりにした大王が、いつまでも俊を人間界においておくとは思われず・・・きっといつか、そう遠くない将来、愛娘が命がけで守った少年は、手の届かないところへと巣立っていくだろう。
「その時がきたら・・・蘭世、あなたは・・・」
「お母さん?」
 人間界で生まれ、育った娘は、おそらく想像もしていないだろう。
 俊が魔界へ去ったとしたら、その時が、おそらく二人の別れになるだろうことを。
 あのアロンですら、すでに婚約者としてフィラという少女が決められているという。それは王家にとって近い家柄の、美しい少女だという。おそらく、王家には、その身分にふさわしい家柄の、年頃の少女は複数用意されていて、俊のお相手もおそらくはその中から選ばれるであろう。
「それは、「開かずの扉」の番人には、とうてい手の届かないもの、だわ」
「お母さん」
「蘭世・・・・・・身分だけは・・・どうすることもできないかもしれない。すまない」
「お父さん・・・」
 蘭世は自分を見つめる両親の目をまっすぐに見つめ返す。「人間」と「魔界人」。本当なら越えられなかった壁を、ようやく乗り越えてここまできた、自分。
「ごめんなさい・・・。それでもわたしは、真壁君が好きなの」









 同じ時を共有できない、「人間」との恋。それによって傷つく娘をみたくなくて、頑ななまで反対し続けてきたのだけれど。
 おなじ世界に住むものとなってもまだ、「身分」という大きな壁に阻まれた娘の恋に
「真壁君が人間だったほうが、よかったのかもしれないわね」
椎羅はただ、そう呟く。
「蘭世は、わかっているよ。そしてきっと、真壁君も」
 静かな夜に。
 望里は二階で眠る子どもたちに思いを寄せる。
 まっすぐな瞳で、自分の恋を語った愛娘を。
 そして、あの混乱の終わりに、娘を抱き上げた少年の腕の優しさを。



 
江藤家に、新たな時間が流れ始める、ある夜の光景だった。 



 
 
 
 本当に久しぶりの「ときめき」の更新。 お話自体は、1年くらい前に書いていまいた。
 真壁君が王子様と(一応)認められた時。椎羅さんは浮かれていましたが、本当のところはそんな状況ではなかったのではないかと思います。確か、アロンの王位認証式の場面では、フィラさんは真壁君たちのすぐ横(つまり上座)にそれらしい姿を見ることは出来ますが、江藤一家はかろうじて一列目にはいるけど王家に近い位置にはその姿が見られません。望里さんの実家は吸血村の村長さんらしいのですが、それはつまり貴族(というものが魔界に存在するかどうかはわかりませんが…)階級にはないことが推測されます(貴族階級なら“領主”という表現に近いものになるのでは…?と思われるからです)。
 種族が違うことで引き裂かれそうになり駆け落ちをせざるを得なかった二人なのですから、身分が違うことはもっと大きな障害だということをよく知っていたはずです。
 それにもかかわらず、蘭世を、そして真壁君を温かく包みこんだふたりって、本当にすごいと思います。

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